『都市部の賃労働環境の発展が選択肢を増やす』

/ 4月 7, 2018/ 未分類

内田樹さんの「ローカリズム宣言」を読みました。
副題が「成長」から「定常」へとなっていまして、脱資本主義的な経済やコミュニティの在り方はどうなっていくのか。といことについて著者の考えが書かれています。

著書の中で、地方へ移住し新たな生活拠点を構築しようとしている若者たちが増えている。という話しと併せて、ある私大に通う大学3年生が就職活動の時期に就職先として農業を選ぶというエピソードが出てきます。

(一部著書より引用)
こんなことは過去にはありえないことです。大学を出て都会育ちの青年が就農するというのは、よほどの決意なり思い入れが必要だった。それがない。肩の力が抜けている。まるで「損保に行こうか、銀行に行こうか考えて、結局銀行にしました」というようなカジュアルな口調で「都会で勤めるか、農業をするか考えて、結局農業にしました」という。世の中変わったなと思いました。それだけ地方で就農するという選択肢が、若者たちの目に「オルタナティブ」として有望なものに見えてきているということです。
 もう一つは親が反対しなかったという点です。一昔前だったら、息子が就活止めて、農業をやるなどと言い出したら、父親も母親も「何を血迷ったことを言ってるのか目を覚ませ」と怒鳴りつけたり、すがりついたりしたでしょう。そうなっていない。そういう選択肢も「あり」かなと親の世代も納得するほど、若い人たちの雇用環境は変わったということです。
(引用終了)

著者は、その理由の一部が都市部で就職することの雇用条件が受忍限度を超えるほどに劣化しているから、また若い人の場合、都市部で1人暮らしの賃労働生活をすることはリスクが高い生き方(血縁・地縁の共同体が空洞化した都市では、十分な蓄えのない個人が病気になったり、失職したりした場合、短期間で一気にホームレスかするリスクを負っている)だから、なのではないかと書いています。

私はむしろ逆に、都市部での就職をいつでも選択できるから、就農するという選択肢がでてきたのだと考えます。一度、自分のキャリアを決めてしまったらキャリア変更することが難しい社会であればあるほど、1つ1つの選択肢がリスクを伴うことになります。自分のやりたいこと(農業)をやってみて、もしうまくいかなかったとしてもその際にまた仕事を変えることができると考えるからこそ、肩の力を抜いて就農を選択できるのであり、都市部での賃労働生活をリスクだと考えているのはなく、むしろ都市部での賃労働生活はいつでも選択できるセーフティーネットだと考える意識が根底にあるように思います。

同様に親が子供の就農に強く反対しなかった理由もまた、都市部での賃労働生活はいつでも選択可能だから、という意識があったのだと思います。

今の日本は、過去に類をみないほどキャリアの選択可能性が高まっていると思います。キャリアの選択可能性が高いというのは、仕事を自分で選択することができ、また移動することも自由になっているということです。過去を振り返れば、どういった家庭に生まれたかや、どういった地域に生まれたかで自己のキャリアがある程度決まってしまっていたはずです。(もしくは選択肢が限られていたはずです。)それこそ農家に生まれなければ農業をやることはできなかったはずです。

内田さんが書かれているように、都市部で賃労働をやることのリスクが高まったから農業をする若者が増えてきたわけではなくて、キャリアの選択可能性が高まった結果、農業をやりたいという若者にそれほどのリスクなく農業をやらせられる環境が作られたのであり、キャリアの選択可能性が高まった理由は、資本主義の発展によって様々な種類の賃労働形態が都市部にできたということなのだと思います。

自分の好きなことを仕事にして生きられる人生が良い人生だと思うので、過去から比べてこれほど小さいリスクで仕事を選択できることは良いことですし、これがさらに発展していけば良いと思う次第です。